「日本古来の美意識を再び現代に甦らせる。」

茶菓

日本には仏教を通して奈良時代に中国から茶が持ち込まれ、その後、禅と結び付いて武家にも広まり、茶文化は重層化していった。一五世紀末からの戦国時代に入ると、禅林や武家だけではなく商人も茶を嗜むようになり、眠気覚ましの薬的存在だった茶の役割が人的交流の嗜好品として使われ始めた。そのような場には室礼が欠かせなくなり、時々の趣向に合わせた道具や空間を見極めて演出し作事することを、芸能を司る同朋衆が担っていた。のちに自立した茶人が生まれて、茶と菓子が日常茶飯事を修行とする禅の食文化から喫茶となり、茶道が成立した。個と向き合う禅の精神性、神仏や自然への敬意を、茶と菓子の意匠を通して現代に甦らせる。

工藝

茶人が意匠などを指示して道具をつくらせる。その道具は、茶人の名前を冠して「誰々好み」と称される。好み物とは茶人の独自の設計と、その意志を理解した職人の技術との、共同作業によって生み出された物。ここにある衣服や芸術も茶人と職人のように、自分自身の思考を職人の技が形にし、古典の拡張を実現していく。

建築

数寄屋造りという日本の美の真髄ともいえる建築様式を取り入れ、古典の拡張を行う。近代化の中で忘れ去られようとしている技術を伝承し、さらにその技術に磨きをかける。全てが規格化され、表層的になってしまった現代の建築資材に異を唱え、扱いが難しく、高度な職人技術を必要とする伝統的素材にこだわる。